大判例

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札幌高等裁判所 昭和39年(ネ)253号 判決 1965年11月13日

控訴人

A(明治三三年三月五日生)

右訴訟代理人弁護士

武田庄吉

被控訴人

B(明治三一年一月一五日生)

右訴訟代理人弁護士

倉谷海道

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の婚姻無効確認の請求を棄却する。

被控訴人と控訴人とを離婚する。

訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張並びに証拠の関係は、被控訴代理人において、原判決事実摘示中実姉佐藤スミ(原判決書二枚目表八行目及び一〇行目)とあるを佐藤すみゑと訂正し、甲第二九号証の被控訴人作成部分は偽造のものとして提出するものであると述べ、当審における被控訴本人尋問の結果を援用し、控訴代理人において、甲第二九号証の被控訴人作成部分は真正に成立したものであると述べ、当審における控訴本人尋問の結果を援用したほかは原判決事実摘示と同一であるからこれを引用する。

理由

その方式および趣旨により真正な公文書と推定すべき甲第八号証の記載によれば、昭和二六年三月二七日北海道小樽市長に対し、被控訴人と控訴人が婚姻した旨の届出がなされたことを認めることができる。

右の事実に<証拠>を総合すると

(一)  被控訴人は、明治三一年一月一五日生で大正一二年二月一六日佐々木孝吉と婚姻したが、夫婦の間に実子がなく、佐々木久を養子としていたところ、孝吉は昭和一九年一日六日、久は同二四年三月三一日いずれも死亡したため、身寄りのなくなつた被控訴人は、同二四年一〇月二六日姉すみゑの長女Cを養子とする養子縁組をし、前記控訴人との婚姻届出のなされた昭和二六年当時は満五三才であつたこと、他方控訴人は、明治三三年三月五日生でD並びにEとそれぞれ婚姻をしたがいずれも協議離婚をなし、本件婚姻届出の当時は満五一才であつたこと

(二)  控訴人は被控訴人の亡夫孝吉の従兄弟であるが、被控訴人とは昭和六年頃一度会つたのみでその後はなんらの交渉もなかつたところ、昭和二四年一二月外地から引揚げてきた控訴人は、孝吉の仏壇をおがませて欲しいといつて被控訴人方を訪れ、そのまま客として被控訴人方に滞在し、同二五年一月一〇日小樽で汽船第一加賀丸に機関長として乗り組み、釧路、東京方面に航海し、同二七年五月一二日七尾で同船を下船したが、その間同船が鰊の漁期に小樽に寄港する都度被控訴人方に来訪宿泊し、その間昭和二五年春頃からは被控訴人と肉体関係を結び、その頃から少くとも生活費として毎月五千円を被控訴人に送金又は手渡していたこと、当初控訴人を客として遇していた被控訴人も、控訴人が第一加賀丸に乗船後も再三来訪するに従い次第に控訴人に好意をもつようになり、控訴人の小樽寄港の日時を確かめ、被控訴人方を訪ねる控訴人のため、特に料理をこしらえたりして歓待するほか、何かと同人の身の廻りの世話をやき、また控訴人が航行中、同人のためにその訴訟事件の処理に尽力するなどして同人に尽していたこと

(三)  本件婚姻届書は控訴人が小樽に寄港した際同人によつて前記日時に提出されたものであるが、その所定事項は、すべて控訴人および同人の依頼した行政書士が記載したものであつて被控訴人名下の印影も控訴人においてほしいままに作出したもので、右届出に証人となつた鈴木義瑛および森川豊太郎は、いずれも控訴人と被控訴人の婚姻については直接関知するところなく、それぞれの妻が控訴人の依頼を受け、入籍に必要だという控訴人の言を信じ、かつは当時右両名が被控訴人の持家を賃借し、または賃借したいと望んでいた関係もあつて、控訴人に乞われるままに記名押印したものであること

(四)  控訴人は前記第一加賀丸を下船後、昭和二五年七月二三日小樽で汽船道栄丸に機関長として乗組むまで被控訴人方に滞在したが、その間被控訴人は控訴人と共棲関係を続け、なにかと控訴人の面倒をみており、控訴人が右道栄丸に乗組み、小樽に寄港するごとに、被控訴人方を訪れたときにも、右のような両者の関係は依然として維持され、このような生活関係は控訴人が道栄丸を下船する昭和三〇年七月末頃まで続けられたところ、その頃から控訴人は被控訴人に対し後に認定するように暴力を振うようになり、両者の共同生活の意思が薄れたが肉体関係はその後昭和三三年九月頃まで続けられたこと

をそれぞれ認めることができ、原審並びに当審における被控訴本人の供述および当審における控訴本人の供述並びに前掲甲第二三号証中右認定に反する部分はいずれも信用することができず、原審証人佐藤豊治の証言も右認定を左右するに足りないし、他に右認定を左右すべき証拠はない。

次に前掲甲第一六号証および同第二七号証並びにその方式および趣旨により真正な公文書と推定すべき甲第一七号証と原審並びに当審における被控訴本人尋問の結果によれば、被控訴人は本件婚姻届書が小樽市長に提出された約一年後に控訴人から届出の事実を聞知したが、その際控訴人に対してそのことをきびしく非難叱責する態度にいでないばかりか却つてその後も控訴人の当時の身寄のない境遇に同情し、同人と前認定のような生活を送り、仕事を世話するなどして控訴人の面倒をみ、右届出をそのまま放置していたことが認められる。

以上認定の諸事実によれば、本件婚姻の届出がなされた当時、被控訴人は、控訴人との婚姻の意思およびその届出の意思が確定的にあつたものとは認められないが、右に認定した控訴人と被控訴人がいずれも配偶者をなくした一人者であつて、昭和二五年春頃から肉体関係がありその後前認定のような生活を送つていた事実、控訴人が昭和二五年春頃から毎月少なくとも五千円を被控訴人にわたしていた事実からすれば、本件婚姻の届出がなされた当時船をはなれての控訴人の生活の本拠は、被控訴人方にあり、その当時の被控訴人と控訴人との関係は、亡夫の従兄弟としてよりも、むしろ世上一般の夫婦に近い共同的生活関係であつたものと認め得べく、とくに被控訴人が本件婚姻届がなされたことを知つた後も、なお控訴人との共棲を拒む態度をとらないばかりでなく、昭和三三年九月頃迄の約六年有余の長きにわたつて肉体関係を続け(しかも昭和三〇年七月頃迄は控訴人の強制によるものでなかつたことは前記認定のところから窺知できる。)、その間日常生活について世上一般の妻の如く控訴人の面倒をみていたことからすれば、被控訴人は右婚姻届出の当時こそ確定的には控訴人との婚姻意思を有していなかつたものの、右届出を知つた後なお従前の共同的生活関係を継続する意思を有し、これを実現したことによつて控訴人と婚姻する意思を確定的にいだくとともに控訴人に対し右婚姻届出を黙示的に追認したものと認めるのが相当である。

もつとも本件においては、控訴人と被控訴人が婚姻の挙式をなしたり、親族や近隣の者に婚姻の挨拶や報告をしたとの事実を認めるべき資料はないが、右両者の当時の年令や、共同的生活事実の先行などを考慮するときは、挙式等の事実がないということは右認定の妨げとなるものではない。

ところで婚姻はその行為によつてあらたに身分関係が創設されるものであつて、夫婦としての共同生活を営む意思があり、届出の意思をもつて戸籍法所定の届出をすることによつて成立するものであるが、本件の如く婚姻の届出が一方当事者の意思のみによつてなされ、届出当時他方当事者に婚姻の意思および届出の意思が確定的にあつたものと認められない場合でも、当事者間に共同生活が開始しており、しかもその届出のなされたことを後日知つた他方の当事者が婚姻意思を有し、右届出を追認したものと認め得る場合には婚姻はその届出のときにさかのぼつてその効力を生ずるものと解するのが相当である。

そうすると本件においては、右に説示したところから明らかなように、控訴人と被控訴人間の婚姻はその届出がなされた昭和二六年三月二七日にさかのぼつてその効力を生ずることとなるから右婚姻が無効であることを主張してその確認を求める被控訴人の主たる請求はその理由がなく本件控訴は理由がある。

そこで次に被控訴人の離婚の請求について判断するに、<証拠>を総合すると

(一)  控訴人は前記道栄丸を下船した昭和三〇年七月下旬頃には被控訴人が肉体関係を拒むと拳を振り上げて同女をおそい、髪の毛を引張つたり足で蹴つたりして暴力を振うようになり、このような状態が引続いたところ、同三三年九月一日頃、被控訴人は控訴人の暴行にたまりかねて同人を告訴し、控訴人は札幌地方裁判所小樽支部において傷害罪により罰金三、〇〇〇円に処せられたことがあり、被控訴人は一人では不安であるため、同年一一月実姉佐藤すみゑを弘前市から呼寄せて翌三四年三月まで同居してもらつたことがあり、被控訴人の右告訴以後、控訴人と被控訴人は食事を別々にし、控訴人は食費の支払をやめて自炊するようになり、両名の肉体関係も途絶えるにいたり、じらい現在にいたるまで右両名は被控訴人所有の家屋において居室を別にしてそれぞれ生活をしており、控訴人は被控訴人に対し、些細なことから腕力を振い暴行を加えるので、被控訴人は、控訴人をおそれている状況にあること

(二)  控訴人は被控訴人の承諾がないのに昭和三七年二月二七日受附をもつて小樽市長に対し、控訴人の姪で控訴人の老後をみてくれる約束のあるFを控訴人と被控訴人との養子とする旨の養子縁組の届出をし、ついで同三七年三月五日被控訴人とCの名義を冒用してほしいままに被控訴人とCとの養子離縁届書を作成し、これを小樽市長に提出して受理せしめたこと

をそれぞれ認めめることができ当審における控訴本人の供述中右認定に牴触する部分は信用することができず、他に右認定を左右すべき証拠はない。

右認定の事実に徴すれば、昭和三三年九月頃から現在にいたるまで控訴人および被控訴人はいずれも結婚生活を持続するの意思を喪失し、相互に嫌悪反感の念がその心を領しており、今後再び円満な生活に復帰する見込はないと認められる。そしてその原因はやはり婚姻生活の初期における控訴人の強引な行動と婚姻継続中における控訴人の被控訴人に対する同居に堪えない虐待というべき暴力的行為並びに犯罪行為にあたる養子縁組、養子離縁届の偽造(前掲甲第二五号証によれば控訴人は後者の所為につき昭和三八年一一月二〇日札幌地方裁判所小樽支部において有印私文書偽造、同行使、公正証書原本不実記載、同行使の罪により懲役一年執行猶予五年に処せられたことが認められる。)にあることは明らかであつて、婚姻生活の破綻についての責任は控訴人に課せられるものといわざるを得ない。されば被控訴人にとつてはまさに控訴人との婚姻を継続し難い重大な事由があるときに該当すると認めるのが相当であり、しかも一切の事情を考慮しても婚姻の継続を相当と認められないので控訴人に対し離婚を求める被控訴人の予備的請求はその理由がある。

よつて被控訴人の婚姻無効確認の請求を認容した原判決を取り消して右請求を棄却し、被控訴人の離婚請求を認容することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九六条、第九二条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。(和田邦康 田中恒朗 右田堯雄)

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